@techreport{oai:suac.repo.nii.ac.jp:00001065, author = {黒田, 宏治 and KURODA, Kohji}, month = {2014, 2015-11-16}, note = {デザイン研究科長特別研究費, 浜松地域における民芸運動関連資料・情報を掘り起こし、民芸運動史、近代デザイン史における役割や位置づけを探究する。平成26年度研究では、前年度調査等も踏まえ、他地域事例調査・比較検討等を行い、浜松における昭和初期の民芸運動の事業構造の特徴について考察を行った。, 2013年度  倉敷民芸館現地視察調査、郷土史家インタビュー調査など, 2014年~  文献資料調査・収集(民芸運動・デザイン), 2015年1月、2月  鳥取民芸運動展覧会視察、出雲・出西窯現地視察調査, 倉敷では運動推進の組織(民芸協会)と民芸品を収集・展示する施設(民芸館)、流通販売(振興会社、地元百貨店内)の三位一体で民芸品のプロモーション並びに生産支援に取り組んだところに特徴が見出せる。地元岡山県内の伝統的民芸品の情報収集、生産・販売支援など地場産業振興を取り込んだことが、事業としての成立可能性、持続性を高めている。 それに対して浜松では、運動推進の担い手が高林兵衛、内田六郎、中村精、平松実など一部財界人・文化人に限られ、また展覧会等も彼ら民芸同好会主催であるなど、十分な組織化に至らなかった。民芸品生産も芹沢、平松ら作家型中心で、地元遠州地域産品の掘り起こしや連携が十分でなく、事業基盤に広がりがもてなかった。そのため中軸パトロンの離脱やコア人材の転出が、運動•事業の衰退に直結した。展示会等でも運動草創期で理念型先行、実用品より古民芸収集や作家作品制作•発表が中心であったと思われる。なお、民芸協団的な仕組みも、倉敷では事業より教育の中で導入され、経済関係と切り離されて生かされたと言える。 出西窯に関しては、民芸運動の模範生とも言われるが、運動体であるとともに今日的にはゼロスタートからの起業とも捉えられる。事業化当初の半農半陶の事業システムの採用、販売重視の鳥取協団との連携などが評価ポイントと思われる。, PDF, 引き続き関係資料・情報の収集・考察等を行い、他地域事例との比較検証も踏まえ、浜松における民芸運動の展開やシステムの探究を進め、近代デザイン運動史との関連についても研究視野を広げたい。学会発表(芸術工学会2015年11月発表予定)等、対外情報発信にも努める。, 26-20}, title = {浜松の民芸運動の事業構造に関する基礎的研究}, year = {} }