@misc{oai:suac.repo.nii.ac.jp:00001396, author = {中村, 紗貴}, month = {2017-03-31, 2017-05-10}, note = {2016, PDF, 研究を進める主な動機は、日本政府による「クールジャパン政策」において、日本の伝統産業が世界中で注目を集めていることだ。加えて、産業振興には地元の大学が産業界と密接に連携することが必要となっている。例えば、陶磁器の主要産地の1つである佐賀県有田地域では、国立大学法人佐賀大学が県立の有田窯業大学校を統合した。このような現代の取り組みは、明治期における官立京都高等工芸学校の事例にルーツがある。同校の設立経緯、教員や卒業生の構築した人的ネットワーク、地元の様々な工芸・美術団体との協働について調査することは、現在の工芸産業振興策を検討するうえで、欠かせない。  本稿では以下の項目について明らかにする。①官と産業界が手を取り合い京都高等工芸学校を設立したこと、②地域産業をより活性化していくためには、地域の高等教育機関が欠かせない存在であること(「地域の知」)、③京都高等工芸学校が教員や卒業生、さらには業界人たちを結ぶ関係者のネットワークの「ハブ(拠点)」となっていたこと、の3点である。加えて、本研究では、同校における多様な人材(教員、卒業生)と彼らの産業界への貢献に焦点を当て、京都の産業復興の一翼を担っていたことを明らかにすることを目的とする。  個人的事情であるが、本稿を書き進める動機の1つは、筆者の卒業研究も含まれていた。学部卒業論文では、琳派作品から影響を受けた浅井忠(京都高等工芸学校教授)が、独自の図案を確立したことを明らかにした。筆者は、浅井が京都の美術・工芸団体や組織に所属し、京都の工芸復興に尽力したことを把握していた。しかしながら、卒業研究では京都高等工芸学校の設立過程や同校を中心とする人的ネットワークまで調べていない。本研究は、同校を産業政策論や文化政策史研究の視角から捉え直した。, 修士(文化政策), 静岡文化芸術大学}, title = {近代京都の産業復興と京都高等工芸学校:教員・卒業生が果たした役割}, year = {} }