@techreport{oai:suac.repo.nii.ac.jp:00000368, author = {梅若, 猶彦 and UMEWAKA, Naohiko}, month = {2005, 2013-06-25}, note = {学長特別研究費, 「空間とは」という所謂真理を探究しようとした命題は、半ば保留されつつ、比喩的に言えばですが、答えのないままの概念のみが様々な分野においてキャンバスとして使用されてきた経緯があります。換言すれば、空間は理解する以前に使用できるものであり、そこに関わる作業や操作(概念的な操作も含む)は、空間の本質論に先行するものだとも言えます。そもそも空間の本質論を問うこと自体が寧ろ時代遅れだとする考えもあり、それは光の本質を問うことと似ているかもしれません。  科学者は空間というキャンバスに「実験」という絵を描きますが、しかし、その逆、つまり画家であるレンブラントの芸術性は科学者の実験のようにキャンバスに絵を描くことにあった、とは厳密には言えません。彼の光学の知識にも拘らずです。  その理由は、科学者の絵は客観的な空間の法則のなかで解が求められるのに対して、画家の絵は二つの空間、つまり客観的な空間と主観的な空間の両方の法則から、あるいはそれらの和合から階を求めようとしているところにあるからです。アプリオリな空間論(悟性の形式)はその時代の知性の極限のように思えましたが、カテゴリー論とともにそれは固定概念化し、我々はいまだに二つの空間(客観の空間と主観の空間)にさらされているとも言えます。  その一方、空間が社会的に捉えらえてはじめてから空間は複数性(レーモン ルフェーブル的な意味での貨幣経済の空間、イデオロギーの空間、権力の空間、等々)として解釈されてもいます。また数学の分野においても、よく耳にするN次元の空間は理論的にNを100次元とすることも可とのことですが、厳密には5次元以上の数式からは解は期待できないそうです。  このリレーシンポジウムが「空間とは」(或は「時間とは」)という冒頭の問いを問いただす機会になればと思っています。  単一性の空間(客観と主観という意味では二つだが)は複数性(multiplicity)へ、線的な時間は非線的(non-linear)なものとなり、無秩序ではありませんが歪な秩序法則が現代の時空間だといえるかもしれません。と言っても昔から真理の探究は、この二つの概念を意図的に歪(いびつ)に扱うことによって始まったのであり、何も最近のことでないのは承知しているつもりです。  室町時代の能役者、世阿弥(1363-1444?)は複数夢幻能を多く書きましたが、そこで扱われている空間は、知覚と約束事を歪に絡めたパフォーマンス用のキャンバスだったといえるでしょう。もう一方の時間軸も、能においては多くのフラッシュバックによって、ぶつ切りになっており、それとともに夢という形式(?)の執拗なる導入によって時間軸は当初から時系列的ではありませんでした。  このリレーシンポジウムでは各分野の専門家に独自の時空間論を展開してもらうことにある。 また招待者を充実されることにより、本学の芸術文化学科の存在を、更に認知してもうらこともこの企画の最重要な課題であった。, PDF, 現代文化をデザインする, 17-学長-9}, title = {シンポジウム : The Time and the Space in Art 「非日常的な空間の創造―古典と現代―入れ子の構造から」}, year = {} }