@misc{oai:suac.repo.nii.ac.jp:00000934, author = {漢人, 省三}, month = {2009-03-31, 2014-02-20}, note = {2008, PDF, 本論文は、「明治初期に建てられた見付学校」を事例として取り上げ考察するものである。近代教育制度の発足に合わせて建てられた学校建築は「擬洋風」と呼ばれている。洋風の意匠を持ち、日本人の大工達よって建てられたそれらの建造物のいくつかは日本各地に文化財として残存している。 本論文は、「見付学校」が建築されるまでの状況と建設費用、そして明治初期のその時代に見付宿の人々が行った資金調達の様子を調査する。 学校の創設は見付宿の名望家と呼ばれる人達の教育に対する熱い想いにより提唱され、一般住民がそれに応える形で実現した。学校建設の根底には明治初期の人々の新しい時代への希望や学校や教育に寄せる期待があった。一方、見付宿とその周辺には江戸期から続く、寺子屋、私塾を始めとする教育的な伝統があった。すなわち、教育の必要性の認識が広く共有されていた。この認識こそ学校の創設に関して、経済的基盤以上に重要な要素となったのである。, 修士(文化政策), 静岡文化芸術大学}, title = {擬洋風学校建築。この不思議な存在! : 明治初期の学校建築とその文化的社会的背景についての考察}, year = {} }