@misc{oai:suac.repo.nii.ac.jp:00000935, author = {村田, 亘}, month = {2013-03-31, 2014-02-21}, note = {2012, PDF, 本論は、1960年代初期の日本における「反芸術」的動向において活動した美術グループ「ハイレッド・センター」の人的交流について考察し、グループを取り巻く人的交流が彼らの芸術上のアイデアを実践する上で、どのように働いていたかを明らかにすること、およびハイレッド・センターの集団性の普遍化への検討を行うことを目的としたものである。 本論では、ハイレッド・センターの芸術行為に直接的に関与した第三者を時系列に沿って整理した後、ハワード・S・ベッカーの「アートワールド」の議論を用いて、ハイレッド・センターの人的交流の役割を分析した。 その結果、グループを取り巻く人的交流の側面から見たハイレッド・センターは、①批評家、知識人から、グループの方向性に対するバックアップを受けていた時期 ②「草月アートセンター」に関与する、高い芸術のリテラシーをもった鑑賞者を動員することで芸術行為を成立させていた時期 ③「内科画廊」を拠点として、ハイレッド・センターの芸術の「規則」を共有した者たちを動員して芸術行為を実践した時期 という三つの時期に分類できるという結論を得た。 また、最後にハイレッド・センターと、現代的なソフトウェア開発手法である『バザール方式』が、プロジェクトへの参加にあたって「共通の理解」が求められること、上意下達ではない行動原理を有しているという点で共通していることを指摘することで、集団としてのハイレッド・センターを普遍化するための道筋を示した。, 修士(文化政策), 静岡文化芸術大学}, title = {芸術行為における可変的集団性 : ハイレッド・センターの人的交流を中心に}, year = {} }