@techreport{oai:suac.repo.nii.ac.jp:00000973, author = {松本, 茂章 and Matsumoto, Shigeaki}, month = {2013, 2015-06-10}, note = {文化政策研究科長特別研究費, 近代欧州において、パリはフランスの首都だけでなく、世界的な「芸術の都」の地位を占めていた。最後においても、UNESCO(国際連合教育科学文化機関)本部が置かれ、「文化外交の十字路」であり続けている。そのパリにおいて、日本の対外文化政策がどのように行われているのか?機能しているのか?どんな人材が活動しているのか、いかなる課題を抱えているのか?などを研究テーマに掲げ、研究科長特別研究費を得て、継続調査を行ってきた。  上記の試みは、パリにおける現状把握にとどまらず、わが国の対外文化政策、あるいは文化発信、国威発揚などの面で、いかなる現状にあり、どのように改善していけばいいのか、に関して、文化政策的な教訓を得ることができる。最終的には、日本の文化化外交のあるべき姿を提言できれば、と考えている。  具体的には、2012年度(平成24年度)には、アソシアシオン(民間非営利団体)であるベルタン・ポワレ文化スペースの調査を行い、日本から渡仏して演じられる現代ダンスや美術の芸術創造拠点となっていることが分かった。  さらには、ドイツの西部地域に転じて、外務省系の国際交流基金(本部・東京)が運営するケルン日本文化会館の実態を調査した。  2013年度(平成25年度)の場合は、政府の文化外交の一環として、外務省系の留学生寮・パリ国際大学都市日本館(通称・パリ日本館)の現状把握に努めた。  2014年度(平成26年度)には、自治体の対外政策に注目するため、兵庫県パリ事務所の現状と課題の解明に努めた。  (毎年度、あらかじめ中心的な調査施設を決めてから渡仏しているが、訪問相手の都合等もあって、調査の訪問先は複数の文化施設がいくばくか重なりながら実施している), パリ大学都市日本館の調査を中心に据えた2013年度(平成25年度)の場合、日本国内での文献調査に加えて、国内あるいは渡仏しての聞き取り調査を行った。, 文献調査は、早稲田大学、日仏会館(恵比寿)の図書館を訪れ、日仏関係の文献を調査し、目を通した。主に同日本館の建設費を個人的に寄付した日本人実業家、薩摩治郎八(通称・バロン薩摩)の関係書籍である。たとえば小林茂『薩摩治郎八 パリ日本館こそわがいのち』(ミネルヴァ書房、2010)、鹿島茂『蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝』(新潮社、2011)、村上紀史郎『「バロン・サツマ」と呼ばれた男 サツマ治郎八とその時代』(藤原書店、2009)などである。あるいは小林善彦『パリ日本館だより フランス人とつきあう法』(中央公論、1979)のようなパリ日本館の元官庁らの随想にも対象を広げ、渡仏する前に同館の全容把握に努めた。さらには国際交流基金の関係書籍も入手した。, 渡仏調査は、2013年9月1日に関西空港を飛び立ち、同月17日にド・ゴール空港を離陸するまで行った。滞在期間中、懸命に人脈をたどり、連日、関係者を訪ね歩いた。(総務室に提出した日程の報告書に日々の訪ねた先の詳細記述を掲載), 館長(一橋大学教授)のところには毎日のように通い詰め、信頼を得て、懇意になることができた。その結果、経理や人事など貴重な内部資料の閲覧に成功した。これらは従来、研究分析されたことのない内容であり、今回の渡仏中の最も大きな成果となった。, さらには、滞在している複数の若手研究者と知り合うことができ、寮生活の実態や困ったこと、他国の宿舎との比較など、貴重なインタビューに成功した。, 一方で、パリ滞在中、在仏知人の紹介で兵庫県パリ事務所の副所長と知り合うことができ、同事務所を訪問する機会を得た。この人的な縁は、翌2014年度の調査につながったので、重要な出会いとなった。, 1、第一次世界大戦後に、不戦を誓った知識人たちの尽力で、パリ14区に国際大学都市ができた経緯を把握できた。日本館はアジアの国で最初に誕生した寮で、伝統的な寮の1つである。同館は日本人実業家の寄付によって実現した経緯を知ることができた。日仏関係史の解明である。, 2、戦後は日本政府(外務省)が補助金を出し、寮生の住居費等で運営されてきた。しかし年々、日本政府からの補助金が減少してきた実態を、経年変化とともに、図表にして明らかにできた。この成果は始めての学術的分析だったため、報告した日本文化政策学会年次大会でも、対外文化政策の研究者らから熱い視線を集めた。, 3、歴代の館長職は、主に日本国内の仏文学者が派遣されてき実態を初めて明らかにした。上記で触れたように、同館の運営は経理的に苦しくなっており、宿舎運営に詳しいマネジメント専門家の登用も検討しなければならない状況にあることに気づかされた。, 4、日本の城郭を模した特徴ある建物は、建築されて80年程度を経ており、老朽化が著しい。他館は次々と大規模改装されているのに対して、日本館は予算の都合上、小規模の修理でしのいでいるのが実態である。将来像が心配された。, 5、国際大学都市の狙いの1つに、世界中から集まってきた若い留学生たちによる文化交流が挙げられる。国際平和のための活動であり、日本館でも努力を続けてきた。しかし、他館に比べると予算不足から活発とは言えない現状も浮かび上がった。, 6、現地の知人の紹介で、兵庫県パリ事務所の副館長と知り合い、自治体外交が衰退して、兵庫県だけがパリで事務所を構えて活動を続けていることを初めて知った。同事務所に訪問することもできた。次年度の調査対象を選ぶ際に、知り合ったことは重要なカギとなった。結果的に学術調査を行い、学会発表にこぎつけることができた。(継続調査の重要性をかみしめる逸話だった), いずれにしても、現地調査を通じて、世界都市パリにおける日本系文化施設が、わが国の文化外交に果たす大きな役割と重責を浮き彫りにできた。  逆に言えば、国内の納税者には、これら海外施設の人材や活動がほとんど伝わっていないことを痛感した。対外文化政策には国内に伝わらないため、どうしても無駄遣いの印象が残される。このため、活字にして伝えなければ・・・・・・という使命感が湧きあがり、懸命に媒体を見つけては研究成果を書き続けた。この結果、先に報告した学会誌掲載の査読付き論文1本、学会発表1本、雑誌掲載原稿2本、という成果につながった。量的にも、質的にも、優れた成果だったと自ら振り返っている。  一方で、パリには日本人が3万人程度いるが、在仏日本人会とパリ日本館は密接な関係があることから、松本が所属する静岡文化芸術大学の名前はかなり広く知ってもらうことができたことも申し添えたい。  2015年度以降は、文化施設から文化団体の研究に焦点を移して、今後も、わが国の対外文化政策のありようを探っていこうと決意している。, PDF, 25-17}, title = {パリにおける日本系文化施設の調査(平成25年度分)}, year = {} }